農業はデイリーライフ!
今後は「創ること」にいっそう向き合っていきたい。
アメリカ出身のマイケル・キダさんはタレントやレポーターとして活躍中。プライベートもアクティブで、1,000坪のオーガニック農園を営み、シェフとしてカフェも経営しています。10代の頃はプロのインラインスケーターとして活躍し、日本では『SASUKE KuroOvi』にもチャレンジするなど、本格派アスリートです。日本での暮らし、農園への想い、そして今後の目標などを伺いました。
少しずつ開墾した農園が1,000坪以上に!
現在、住まいのある葉山でオーガニック農園を営んでいます。栽培しているのは、野菜、果物、山菜、キノコなど年間で150種類ほど。僕と農園の関係は、アメリカでの幼少期時代にまでさかのぼります。野菜の育て方は実家の広い庭で父から教えてもらい、5歳の頃からは料理も学び始めました。今もずっと料理の技術を勉強し続けています。
葉山エリアは漁港なので、新鮮な魚が手に入ります。ここに住み始めたある日、たくさんの魚を使ってフランス料理のブイヤベースを作ろうとしたところ、フェンネルというハーブ野菜がどこにも売っていなかったんです。それならば、「自分で作ろう!」と。他にも、食べたい野菜をベランダでプランターを使って育て始めたんですが、全然物足りなかったんです。そこで、庭付きの家へ引っ越して、10平米の畑を耕しました。ところが、また物足りなくなって、今度は200坪の畑を借りることに。3年間使っていましたが、大家さんが土地を手放すことになり、また違う場所を探すことになりました。そして現在の場所にたどり着いたんです。相模湾が一望できる山の上にあって、ロケーションは抜群!でも、人の手が入っていない荒れた土地だったので、自分で開墾するところから始めました。少しずつ開墾し、今では1,000坪以上の農園へと育っています。
100%無農薬のオーガニック農法
農園は100%無農薬で、化学肥料も一切使っていません。育てているのは本当にさまざまで、野菜では日本の在来種である江戸野菜や、新しい外来種である珍しい野菜も栽培しています。山菜は筍、自然薯、明日葉、三つ葉、ノビル、フキなどを隣の林の中から探してきたり、タラの芽、行者ニンニク、コゴミ、ウド, ミョウガなどは自分の畑で育てています。果物はびわ、ブルーベリー、ラズベリー、ブラックベリー、いちご、イチジク、レモン、金柑、夏みかん、梅などを栽培。桑の実、キイチゴ、クマイチゴ、山サクランボといった自然にできる果物も探してきて収穫しています。
農園ではイベントを行ったりしています。友達やお客さんと朝に畑に集合して、一緒に収穫。収穫した野菜を使って料理教室を開いています。畑に作業小屋とデッキを作ってるので、ゆっくり料理できるスペースがあるんです。そのほか、農作業や子供の英会話ファーミング、サバイバル教室なども行っています。
1年間の日本滞在予定が、気付けば10年以上に
日本を訪れる前、いろいろな国を訪問しました。その理由は大学卒業後、海外に住む経験が欲しかったんです。イタリアに半年ほど住んで、ヨーロッパ各国やアラビア諸国にも行きました。その時点でまだアジアに行ったことがなかったので、まずは韓国へ。韓国では滞在期間を1年間と決めていました。英語講師とブレークダンスの仕事をしながら1年を過ごし、次に日本へ。日本でも1年間だけ滞在して、その後はアメリカに戻って大学院に進むつもりだったんです。東京に住んで、まずは仕事を探し始めることにしました。
ある日、渋谷のカフェでゆっくりコーヒーを飲んでいると、携帯電話が鳴ったんです。逗子駅の近くにある「葉山インターナショナルスクール」という幼稚園からで、面接の誘いでした。正直なところ「遠いな…」と思いました。でも、せっかくの誘いなので行ってみることに。実際に葉山を訪れたところ、不思議と直感できたんです。「あ、ここで働くことになるな」と。とんとん拍子で面接は合格して、幼稚園での仕事が決まりました。そして葉山エリアに住むことになったのですが、あっという間にはまってしまったんですね。このエリアは自然が多く、人も優しいです。さらに、芸術的な活動をする人々がとても多く、刺激を受けた私はクリエイティブな生活を始めることに成功し、今に至ります。気付けば13年が経ちました。今、とても幸せです。
コミュニティに支えられて、大変なことも乗り越えていける
日本に来て、一番驚いたことはコミュニティですね。僕の故郷はアメリカの一般的な町で、住民のライフスタイルは人それぞれ。学校や教会のイベント以外では、アメリカ人は地域の住民同士で集まることはほとんどありません。国の祝日などでもテレビでしかつながらないので、みんな独りぼっちと言っていいくらいです。反対に、今私が住んでいる地域の住民のつながりは強く感じます。葉山は日本においては普通の小さな町。でも、特徴は首都・東京と違って、暮らしている人々の大半はこのエリアの生まれです。親や、それ以上前の世代から何代にも渡って同じ場所に住んでいる人々が多いです。ご先祖と同じ畑の土をおこし、同じ道を歩き、長く続く文化や伝統を受け継いでいるのです。
日本のコミュニティは、みんなの協力で全ての活動が成り立っていると感じます。例えば、この土地で行われる祭り。私は毎年お神輿を担ぐイベントに参加しています。お神輿を担いで、一日中ずっと町内を回ります。町の若者から年配の方々まで、本当にみんなの力を集めて祭りが行われ、どんなに大変でも最後まで絶対に、無事にやり遂げるのです。辛いと思っても、コミュニティに支えられているから、みんなの力で成し遂げることができます。
人生は、大変なことがたくさん起こります。でも、コミュニティの支えがあれば、みんなの力で乗り越えていけるんです。自分の夢や新しいチャレンジを追求するとき、誰かの支えがあると感じることで、気持ちが楽になります。日本、そして葉山は、人と人がつながる大切さを教えてくれました。
葉山の土地が、僕のアクティブな性格を起こしてくれた
芸能活動へのチャレンジを後押ししてくれたのは、葉山の土地かもしれません。ニューヨーク州に住んでいた10代の頃、「いつか芸能活動がしたい」と思っていました。私自身とてもアクティブな性格で、14歳から17歳までプロのインラインスケーターとして活動したり、自分のファッションブランドを立ち上げたり、フィルム写真を撮ったり、ダンスを習ってパフォーマンスも行っていました。でも、人生は思い通りにいきません。大学に入学して真面目に勉強するうちに、迷いや悩みも生じて、いつしか僕のアクティブな性格は隠れてしまいました。
そして葉山に移り住んだとき、ハッと気付かされたんです。葉山では、自分の夢を追いかけてる人や、アーティストやアイデアマンが多く、みんな自分に自信を持ってイキイキと活動しています。その姿を見ているうちに、「自分もチャレンジしたい!」と思えるようになったんです。日本に住んで6年目のとき、新橋でテキーラメキシコバーを始めて、店長に就きました。多くの人々との出会いのなかで、エンターテインメントにまつわる方々にもお会いでき、10代の頃に思い描いた芸能活動への意欲がどんどんと湧き出てきました。そんななか、知り合いの紹介でNHK国際放送の番組に出演。この活動をきっかけに、いろいろとチャレンジを始めて、モデル、CM、レポーター、俳優の仕事が少しずつ増えていき、2年が経過した今はタレント活動だけで生活できるようになっています。トータルの出演数は150回を越えました。日本では外国人タレントとしての仕事がたくさんあるので、経験を積みながらキャリアを磨くこともできています。
『コンフィデンスマンJP』のバトラー役を楽しんでいます
これまで面白い仕事や楽しい現場をたくさん経験してきたけれど、なかでも一番インパクトのある仕事は、フジテレビの月9ドラマ『コンフィデンスマンJP』です。ドラマも映画版も、バトラー役をさせてもらいました。小さい役ではあるものの、主役の3名以外は毎回ゲストが変わるドラマのなかでレギュラーを任せてもらい、さらに僕にとって一番大きな規模のドラマだったので、印象深いですね。スタッフも役者さんも、誰もが素晴らしい方々ばかりで、とても良い経験になりました。このドラマはまだ完結しておらず、続編もまだまだ期待されています。私自身も次回のストーリーや展開を楽しみにしています。
日本の番組を世界に発信する創り手になりたい
今後の夢や目標を挙げるとキリがないかも。とはいえ、明確に思い描いていることもあります。まず、行ってみたい場所といえば、インド洋のマダガスカルやモーリシャス。子どもの頃から海賊関連の本が好きで、いつも読んでいました。海賊たちはヨーロッパからインドへ向かうとき、マダガスカルやモーリシャスで一度停泊し、休憩をしていたんです。その地域の珍しい自然や国の話を聞いてから、ずっと行きたいと思っています。
芸能活動でいえば、今後は出演する側よりも、番組を製作する側に回りたいとも考えています。例えば、現在TOKYO MXの『日曜はカラフル!!』で、異なる国の料理を作るコーナーを担当していますが、料理番組において一つのアイデアがあります。それは、旬の素材のみで構成する料理コーナーです。自分で野菜を育てて感じることは、季節に合った野菜や魚を使った料理は本当においしいんです。体にも順応しますし、環境にも優しいですし、いろいろな人に旬の素材を知って欲しい。
自分でドラマも作りたいですね。実は、昨年からテレビドラマの脚本を書き始めて、シーズン1を書ききったところです。脚本を書き始めた理由は2つあって、1つ目は私を含めた外国人俳優のため。日本のドラマでの外国人のパートは少なくて、ストーリーに大きく関わるような重要な役はほとんどありません。それならば「自分で書こう」と思ったことがきっかけです。
2つ目は、日本のエンターテインメント業界への貢献です。日本は世界でもトップクラスの人気の国。観光客も毎年増えて、日本のさまざまな話題が世界中に届いています。世界中の誰もが日本を訪れることができるわけではないので、テレビや映画で日本のことを知りたいと思っています。でも、日本は海外向けの番組が本当に少ないんです。番組のほとんどが国内向け。海外では観られていません。だから、私がプロデュースしてみたいのです。チャンスだとも思っています!日本の芸能業界は多才な方が多いので、すぐに実現できると確信していますよ。こんな風に、自分の理想とする生活を送れて、目標を語れる毎日は夢みたいで、僕は本当に幸せです。
(TEXT:Michael Keida/EDITOR:Write Design )
分野を問わず自分の人生をクリエイトし続けるアスリート系アメリカ人